県人自分史 元屋地文明自伝 その2

地獄を見るのも悪くない  

 「青春も夢もあったもんじゃない。俺は何でこんなに運が悪いんだ‼いっそのこと死んだ方がましだ‼」大きな声で叫びたかったのである。  

 高校卒業の一週間後に入院を余儀なくされた時の心境である。  

 担任の画伯が推薦してやると言った東京の美術大学も、経済的に無理で断り、就職して少しでも家のためになろうと思っていた矢先のことで、辛い悲しい人生のスタートであった。  

 当時の結核は、まだ不治の病とされ、治癒率は低く、先輩の患者もみんな主治医に「十年以上も生きたら良い方だ」と言われたとの事であった。   

 五年前に患った人が亡くなった直後だったので、「あー僕はいつ死ぬのかなー」と思うだけで涙が出て「泣いても嘆いても逃げる事のできない地獄に落ちてしまった」と思っていたのである。 

 そんな時に一筋の光が差し込んできた。抗生物質開拓の端緒となった、後の賞受賞者ワックスマン博士が発見した特効薬ストレプトマイシンが保険治療薬として投与される事になったのである。  

 週二回のお尻への注射は痛かったが、そんな療養生活にも楽しみがあった。病室は十代から六十代迄が一人づつの六人部屋だったので、持ち込まれる本も様々で、それを借りて「娑婆」では絶対に読まなかったであろう長編小説を、有り余る時間を使い手当たり次第に読みあさったのである。 フランス文学者モーパッサンの「女の一生」、ロシア文学者ドストエフスキーの「罪と罰」、精神医学者フロイトの「夢判断」、中国の歴史本「三国志」、吉川英治の「宮本武蔵」、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」、宗教本は仏教、キリスト教、新興宗教等々、その他マンガ本、探偵小説、週刊誌等、ラジオもテレビも無い生活で、本を読むしかなかったのである。  

 療養中の二年間で読んだ本の量は、その後の六十年間よりも多いのである。

 人生経験の豊かな同室の先輩に、世の中の事柄や人間関係の話、以後、将棋、ギターの弾き方まで教わり、おまけにタバコの吸い方、女性との接し方等、学校では教わる事のない「人生の学舎」でもあったのである、学んだ事の一つに「人生なるようにしか成らない事もある。くよくよしても一生は一生だ。同じ一生なら笑って暮らす方が得だ」と考えるようになった事である。  

 笑える様に成ってからの回復は早かった。開き直って前向きに生きようと決めたからである。  

 頭にこびりついた余命十年は取れなかったが、院長先生は患者を真面目に療養さすために、多少の脅しを含めて注射をしていたのだろうと思われる。  

 やがて退院の日となり、諦めていた成人式にも出席することができ、同期と祝杯を上げたのである。  

 三か月の家庭療養で体調回復も順調に進み、念願の社会人となるため、青年団活動の傍ら職探しを始め、二十才の四月、町役場の就職試験に挑戦した事を皮切りに、紆余曲折の人生が始まったのである。

元屋地文明氏

近畿愛媛県人会 副会長

カーディナル株式会社 会長

近畿愛媛県人会

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